陽春の4月、のんびり草津線に乗って甲賀・伊賀忍者のふるさを訪ねる旅に出かけてみた。草津線は滋賀県の草津駅と三重県の柘植駅を結ぶ36.7キロの単線電化の路線で、その歴史は1889年(明治22年)12月の関西鉄道・草津ー三雲間の開業にまで遡る。1890年(明治23年)には柘植まで全通。旧東海道の宿場があった町を縫うようして走ってきたが1907年(明治40年)に国有化。路線名も草津線と制定された。その後京都から伊勢方面への短絡ルートとして急行列車も運転され、昭和55年には全線が電化。しかし現在はローカル線のみの運行で京都や大阪方面への通勤通学列車の色濃い路線になっている。

日中は4両編成の電車が1時間に上下各2本あるだけで、車窓風景も関西の鉄道路線の中では「地味」だと酷評する鉄道ファンも多い。そんな知識を頭に4月のある日、10時26分草津発の列車に乗った。岡山から草津までは青春18キップで姫路経由、山陽・東海道本線を新快速に乗れば3時間半余りで到着する。草津駅1番ホームを出発した電車は並行する東海道線を離れ高架を5分ほど走って橋上駅の手原に到着。この駅では列車交換して石部駅に向った。手原-石部間では左手車窓に近江富士といわれる三上山が見えてくる。




のんびりした車内で車窓風景を楽しんでいると、旧東海道を京から江戸へ向かう多くの旅人の泊った石部宿に想いが馳せる。そんな私を見ていたのか「沿線には草津宿本陣など旧東海道の宿場跡や資料館が点在しているのでゆっくり途中下車して訪ねるのも面白いですよ」と隣り合せのお年寄りが教えてくれた。次の甲西駅は1981年の「びわこ国体」に併せて開業した駅で草津線では一番新しい駅。1面1線の構内だが橋上駅の構造は将来の列車交換設備への準備だろうか。電車は明治時代の短いレンガ造りのアーチ橋(天井川トンネル)を通って草津線開業当時の終点だった三雲駅に着いた。



三雲駅は明治22年の開業で駅舎も木造の建物で今も残っている。「関西鉄道考古学探見」を書いた旅行作家の辻良樹さんは「草津線は関西の私鉄黎明期の雄、関西鉄道の歴史を実際に見られる貴重な路線」と語る。私が三雲駅を訪ねた時は乗降客に学生が多いのに驚いた。三雲から野洲川支流の杣川鉄橋を渡ると草津線で一番賑わう貴生川駅に到着。この貴生川駅では私鉄の近江鉄道と3セクの信楽高原鉄道と接続している。近江鉄道は八日市・彦根・米原方面へ、信楽高原鉄道は焼き物の町、信楽方面へ通じ、貴生川駅はその起点駅になっている。






草津線はここから柘植駅までは約1時間に1本の列車ダイヤで乗客も少なくなる。電車は杣川に沿って走って甲賀流忍法ゆかりの甲南駅に到着。駅から南約1.3km、竜法師集落のほぼ中心に甲賀流忍術屋敷ある。伊賀流と並ぶ甲賀忍法の望月家の屋敷跡で、当時の姿をそのままに今に伝えている。駅から徒歩20分程度なので一度は訪ねてみたい忍者スポットのひとつだ。最近は隣の伊賀流忍術と連携して観光客誘致にタッグを組んでいると聞く。

電車は桜の木が数多く植えられている寺圧駅を過ぎ甲賀駅へ。この近くには塩野義製薬や大正製薬など10社近い製薬会社があることから甲賀は薬業の町として知られている。ここから電車は滋賀県最南端の駅、1面1線の油日駅を目指す。沿線にはたくさんの桜の木が植えられており、春には油日駅の桜も美しく咲いて駅全体をピンク色に染める。そして夜には近隣沿線の住民が夜桜見物にやってくるそうだ。油日駅を過ぎると電車は県境にさしかかり松林の丘陵や農場が車窓をよぎりながら滋賀県から三重県へ入って終点の柘植駅に到着した。ここで関西本線と接続する。


柘植駅は2面3線の広い構内で関西本線のホーム端には、柘植駅の標高243mを示す木製の標柱が立っている。駅の南には旧伊賀街道と
その宿場街が残るが、駅周辺は静かなローカル線の旅情あふれる山里の駅だ。柘植は滋賀の甲賀流に対して伊賀流忍者の里で、隣の上野市にかけて忍者屋敷跡や口伝書・用具が残されている。また柘植は松尾芭蕉ゆかりの地でもあり、駅から1.5キロの散策コースに芭蕉公園がある。明治33年に出来た「鉄道唱歌の第5集14番」にこう唄われている。
『伊賀焼いづる佐那具の地 芭蕉うまれし柘植の駅 線路左にわかるれば迷はぬ道は草津まで』
ここで今回の草津線の旅は終わる。あなたも桜の季節に鉄道黎明期の遺産が点在する草津線をのんびりと訪ねては如何ですか。