
2012年最初のローカル線の旅は陰陽連絡線の幹線、伯備線に乗って備中を超え出雲へ向かう冬の伯備線の旅に出かけてみた。伯備線は山陽本線の倉敷から山陰本線の伯耆大山までの138.4Kmを結ぶ路線だ。伯備線の起点駅は倉敷駅・伯耆大山駅だが、運転系統上は岡山・米子を始終点として全列車は岡山駅・米子駅まで乗り入れ、陰陽連絡線としてJR西日本の重要幹線のひとつだ。




伯備線の開業は北側の伯耆溝口~伯耆大山間の1919年(大正8年)の開通まで遡る。1926年に足立駅まで開業する一方、南側は倉敷~宍粟(現在の豪渓)間が伯備南線として1925年に開業。以後順次延伸され、1926年には 美袋~木野山間が延伸開通し、備中広瀬駅、備中高梁駅、木野山駅が開業した。備中川面駅まで開業したのは1927年、備中川面~新見~足立間が開業し伯備線が全通したのは1928年(昭和3年)のことである。そして昭和57年には全線の電化が完成。同時に倉敷~備中高梁間も複線化され、名実共に陰陽連絡の重要幹線として今日に至っている。



そんな予備知識を胸に2012年最初の旅は岡山駅1番ホームから9時18分発の新見行き普通列車に乗って米子を目指した。岡山から倉敷までは山陽本線を17分程走って倉敷駅4番ホームへ。右の車窓には倉敷チボリ公園の跡地に昨年12月に完成した大型商業施設、三井アウトレットParkとイトーヨーカ堂の「アリオ倉敷」の施設が目に飛び込んでくる。倉敷駅北口がアウトレットPARKのプロムナードになるDoor to Shopの便利な駅舎だ。私の乗った3両編成の普通列車はここから伯備線に乗り入れ一路備中高梁を目指す。山陽本線から右に離れ最高速度120Kmの複線区間を列車は快調に8分ほど走って清音駅に到着。この駅には平成11年から3セクの井原鉄道が乗入れている。清音~総社間の3.4Kmは井原鉄道の第二種鉄道事業区間で伯備線と施設を共用し、この区間は井原鉄道の列車も走っている。倉敷を出発して11分程で総社駅に着いた。
総社駅は井原鉄道の他に吉備線の列車も発着しており乗降客の多い駅。この駅から車で5分程の所に画聖雪舟が幼少期を過ごした臨済宗宝福寺がある。この寺には雪舟が流した涙を足の親指で鼠を描いたと言う逸話が伝えられている。総社を出た電車は宝福寺ゆかりの井山十境を右に見て秋葉山トンネルに入る。トンネルを抜け槙谷川の橋梁を渡ると電車は紅葉で有名な豪渓駅へ、シーズンオフのこの時期、2面3線の長いホームだけが目立つ無人駅だ。電車は高梁川に沿って日羽、美袋、備中広瀬と過ぎて高倉山トンネルを抜け、岡山県中部の中心地・高梁市街地にある備中高梁駅へ10時12分に到着した。

高梁は臥牛山の備中松山城や武家屋敷、それに小堀遠州の作庭した頼久寺庭園など江戸時代の面影を残す城下町として知られている。また古い武家屋敷の残る通りでは松竹映画「男はつらいよ」のロケ地として何度も撮影された。そんな通りをゆっくり歩くと江戸時代の武士のざわめきや寅さんの元気な声が聞こえてきそうだ。今回は車窓から備中松山城に1年の計を誓って2012年ローカル線の旅を続けた。高梁駅までは複線で岡山・倉敷への通勤通学列車の色合い濃い伯備線だ。

冬晴れの好天で岡山、倉敷を出発し高梁川沿いを北に走る伯備線の旅も高梁を過ぎる辺りからどんよりした雲に覆われ車内の乗客数もめっきり少なくなった。木野山、備中川面を過ぎると急に川幅が狭くなり左右の山肌が迫ってくる。そんな山裾にある1面2線の方谷駅に到着した。この駅は儒学者・山田方谷に因んだ人名駅で国の登録有形文化財に指定され、近くに方谷旧宅碑が建っている。ここから石蟹駅までは高梁川両岸の長い侵食作用で出来た断崖絶壁の風景が車窓に飛び込んでくる。井倉駅では右車窓に鍾乳洞で有名な井倉洞への歓迎アーチが見え、石蟹駅では小野田セメント工場閉鎖後、急に寂しくなった広い構内だけが当時面影を伝えている。嘗て石材搬出の引込線が何本も敷かれセメント工場の貨車輸送で賑わっていた石蟹駅。列車はそんな感慨をよそに10時49分、今にも時雨か小雪の舞いそうな寒い新見駅に到着した。


新見駅は姫新線や芸備線と接続する鉄道の要衝。この日は今にも時雨や小雪が舞いそうな寒い新見駅だった。ここでは11時17分、新見始発の米子行き2両編成ワンマン普通電車に乗り換え旅を続けた。定刻新見駅を発車した列車は嘗てSL三重連の撮影ポイントだった布原を通り過ぎ備中神代駅に到着。駅周辺には2~3日前に降った雪が残り芸備線の分岐ホームもすっかり冬モード。備中神代で一人のお年寄りを降ろした列車は中国自動車道の下を潜り緩いのぼり勾配を走って足立に到着。

この駅は嘗て石灰石を満載した貨車が列をなし最盛期には20人近い駅員の働く活気ある駅だった。1両に5~6人の乗客しかいない列車はトンネルを出たり入ったりして県境の新郷駅に着いた。ここから北は鳥取県。そけだけに旅客の流れも新郷を境に分かれている。そのためか平日の朝、6時51分に1本だけ通勤通学の便を図って、新郷駅始発の岡山方面行きの普通列車が設定されている。列車はここから県境の長い谷田峠トンネルに入って分水嶺を越え下りながらスピードを増して鳥取県の上石見駅に着いた。
駅構内はすっか雪景色で冬ローカル線の旅情を満喫させてくれる。上石見駅は伯備線で最も高い標高にあることから「にちなん高原の駅」の愛称で親しまれている。構内は2面3線、「特急やくも」の列車交換や普通列車の退避に使用されている。列車は石見川沿いを走り下石見信号所を過ぎて生山駅に到着。2004年に建替えられた生山の木造駅舎は地域間交流施設クローバーを併設し、日南町の特産品販売や地域住民のコミニュケーションの場にもなっていた。中国山地の生山はすっかり雪に覆われ、朝出発した冬晴れの山陽・倉敷とは対照的な様相を見せていた。
岡山・鳥取県境



生山を出た列車は180号線と並行しながら走って1面2線のホームに小さな待合室のある上菅駅へ、そして雪景色の無人駅・黒坂駅を通って日野町の根雨駅に到着した。根雨は昔から出雲街道の宿場町として栄え、陰陽交通の要衝だった。現在は「特急やくも」の一部が停車する伯備線主要駅のひとつだ。この日も米子方面に向かう多数の乗客が乗り込んできた。列車は伯備線で最も新しい1面1線の武庫駅を過ぎ、列車交換・退避が可能な2面3線の江尾駅に到着。その後列車は上溝口信号所で退避し「特急やくも」との列車交換を待って伯耆溝口駅に着いた。



ここまで来ると右車窓に大山の威容が見えるのだがこの日は曇り空で見ることが出来なかった。伯耆溝口では多くの学生が乗り込んできて車内は山陰訛りのざわめき混雑し、列車は勾配の緩やかな平野部に入って岸本駅へに停車して伯備線の起点駅、伯耆大山に到着した。


伯耆大山駅では15分程停車し「特急やくも」先に通過させた。伯備線はここで終るが列車は山陰本線を通って終点・米子駅に向った。私も米子まで足を伸ばし、米子で山陰名物舟子弁当を食べ伯備線の旅をしめ括った。


伯備線を走る特急列車

