毎年旧暦5月5日に近い土曜日の夜(今年は6月12日)に、岡山県笠岡市で「ひったか」と呼ばれる伝統行事が行われる。これは笠岡市金浦地区に約800年前から伝わる行事で、その由来は源平合戦の時に平家一軍が松明をたいて大軍と見せかけ源氏を追い払った合戦にまで遡る。今は吉田川を挟んで向かい合う 行者山と妙見山の東西に別れ、提灯で夜空に絵模様を描きその優劣を競う行事として継承されている。そんな伝統ある「ひったか」に魅かれて岡山県の最西端笠岡市と昭和46年まで走っていた井笠鉄道の廃線跡を訪ねてみた。

笠岡へは山陽本線の快速サンライナーに乗れば岡山駅から約35分、また普通列車でも45分前後で到着する。笠岡駅は岡山県西部の中核都市の玄関口だけに広い駅前ロータリーや市役所に通じる駅前通りは区画整理できれいに整備され街路樹から漏れる陽光も眩しい。大通りを7分ほど歩いて市役所近辺の小田県庁跡に出向いた。この一帯は嘗て代官所として使われ、明治の初めにはここに県庁が置かれたこともあったとか。現在この堀の内は「小田県庁門せせらぎの道」として整備され市民の憩いの場所となっている。



堀を流れるせせらぎを耳にゆっくり散策するとローカル線の旅ならではの旅情が蘇る。次いで近くの市役所に出向いて笠岡市の観光資料をもらった。定番観光スポット以外のお勧め所を市役所で聞くと「笠岡には昭和46年(1967年)まで軽便の井笠鉄道が走り、その井笠鉄道の跡は今、県道や新しい井原鉄道に姿を変えている。



鉄道ファンなら井笠鉄道廃線巡りに出掛けて見るのも面白いですよ」と教えてくれた。早速駅前のバスセンターから矢掛行きバスに乗った。このバスは嘗ての井笠鉄道の路線を走って45分程で井笠鉄道記念館のある新山バス停に到着。県道に面したのんびりした記念館だ。しばらく外から見ていると麦藁帽をかぶったお年寄りが「自由に中へ入って写真を撮ってもいいよ」と気軽に声を掛けてくれた。
井笠鉄道記念館



この人、実はこの井笠鉄道記念館の館長、田中春夫さんで以前はこの新山駅の駅長さんを勤めていたと判った。井笠鉄道は大正2年に開通し、笠岡を起点に井原・矢掛・神辺を結ぶ鉄道総延長距離37.02Kmの軽便鉄道で通勤、通学、買い物客等の足として活躍。全盛期「マッチ箱」と呼ばれるこの軽便鉄道は車内に入り切れない人が車両にぶら下がり鈴なりになって走る事もあったと田中さんは懐かしそうに話してくれた。




その井笠鉄道も車社会の波に勝てず昭和46年に全線廃止。10年後の昭和56年に当時の井笠鉄道の新山駅舎を利用してこの記念館が開館した。記念館には営業時に使用されていた備品や当時の写真などが所せましと並べられ、敷地内には開業時にドイツのコッペル社から購入したナローゲージの蒸気機関車が展示されている。鉄道ファンならずとも訪ねてみたいスポットだ。



その後、田中館長に教えられ笠岡駅に戻って駅南側を走る国道2号線沿いの笠岡市交通公園に出掛けてみた。近くには井笠鉄道本社があり越線橋下には当時走っていた車両「井笠鉄道ホジ9」が展示されている。この気動車はエンジンに「いすゞ製DA48型ディーゼルエンジン」を備え、前後の荷物台、小さなひさしを持つ好ましい軽便気動車として鉄道ファンに人気が高い。最近塗装が行われたのか外観内部ともきれいに整備されていた。



交通公園のすぐ近くが笠岡港。笠岡港は江戸時代から昭和の初めまで海運物流の重要拠点として賑わっていた。その面影は今も「笠岡の力石」として残っている。これは笠岡港で働く沖仲仕が身体と精神を鍛える力試しの石として使われていたもので、今も力石は近くの市立郷土館で見ることが出来る。笠岡と云えば瀬戸内海の島々や生きた化石と呼ばれるカブトガニ博物館を訪ねる人が多いと聞く。そんな定番観光スポットもいいが、時には鉄道少年に戻って先人の走らせた軽便鉄道の足跡を訪ねるのもいいと実感した旅だった。