徳島の夏は熱い。気候もさることながら8月の徳島は町中が阿波踊りの熱気でいっぱいだ。そんな徳島へ阿波踊りの熱気もまだ冷めやらぬある日、徳島駅から南へ走るローカル線「牟岐線」に乗車しようと出かけてみた。牟岐線は徳島駅と海部駅の79.3キロを走るローカル線。開業当初から利用客も少なく国鉄黄金時代の昭和30年代にあってもディゼルカーがのんびり走る路線だったと関係者は話す。近代的な徳島の駅ビルとは対照的に徳島駅2番ホームには10時09分発阿南行きキハ40形気動車が入線していた。牟岐線のダイヤは阿南までは1日31便ほどあって便利だが阿南から先の日和佐、牟岐、海部方面へは12便と列車も半分以下に減ってしまう。 そのためか、牟岐線内には特急「室戸」が2往復、線外の阿波池田-徳島-海部間には特急「剣山」が1往復運転されていている。特急といってもキハ185系気動車の2両編成でスピードも表定速度60キロと遅く本州内を走る特急のイメージとはほど遠い。
そんな牟岐線に2番線で停車中の阿南行きワンマンカーに乗った。始発駅の徳島は整備され近代的なビルが建ち並び、南国情緒いっぱいの椰子の並木が旅行者の目を和ませてくれる。また全市に吉野川支流が流れ水の都としての爽やかなイメージを醸し出している。時代が変わっても阿波踊りの持つ庶民エネルギーが町いっぱいに覆っている事には違いない徳島だ。10時2分、ボックス席とロングシートが混在する気動車が発車。すぐに左の車窓から県庁など官庁街ビル群やヨットの係留する都市景観が飛び込んできた。水の都ならでは風景に感心している私に隣の主婦が「このあたりの駅は結構サラリーマンや学生の乗降が多いですよ」と話してくれた。
やがて列車は阿波富田、二軒屋、文化の森、地蔵橋を過ぎて中田駅に到着。中田は昭和60年までは小松島線への分岐駅として小松島港まで列車が走っていた。余談だが私は南海電鉄の沿線、大阪岸和田で中学生まで過ごした。当時南海電鉄は難波-和歌山港間に特急「阿波号」を走らせ、和歌山港-小松島港間には南海フェリーを就航させて大阪-徳島間を4時間で結んでいた。阿波踊りの時期になると多くの観光客がこのルートを通って徳島へ出かけていた。小松島の町を眺めていると、あの頃の懐かしい思い出が鮮明に蘇ってくる。そんな感傷を尻目に列車は南小松島、阿波赤石を過ぎて立江に到着。立江駅は四国88カ所第19番目札所、立江寺の門前駅としてお遍路さんには知られている。このあたりから列車の中は阿南へ買い物に行く主婦や病院へ行くお年寄りで混雑してきた。列車は那賀川平野の田園地帯をゆっくり走りながら羽ノ浦、西原、阿波中島を過ぎやがて吉野川に次いで大きい那賀川に架かる全長467mの橋梁を渡って10時46分、終点阿南駅に到着した。
牟岐線の中でも阿南駅は徳島駅についで乗降客の多い駅でみどりの窓口も設置されている。2003年11月に駅舎改修工事が終わり橋上駅の新阿南駅が誕生した。次の列車の発車まで1時間近くあったので阿南の町を歩いてみた。阿南市は徳島県東部の中央海岸線に位置した徳島県南地域の中核都市、人口57000人余りでかつては阿波水軍の拠点としてその名を全国に轟かせた。現在は環境庁から「日本一美しい海」と指名された北の脇海水浴場など阿南の観光地には多くの人が訪ねている。
2003年工事中の阿南駅構内
11時19分阿南駅に2両編成の列車が到着した。この阿南発11時35分の海部行は2両編成だが後ろ一両は回送列車で乗客はいない。阿南からは夏休み中の高校生やお年寄りが乗り込んだ。南を目指す列車の窓からはたわわに実った稲穂を刈り入れる風景が飛び込んでくる。牟岐沿線には黄色い豊作の絨毯が広がって一足早い秋の風情を漂わせていた。列車は見能林、阿波橘を過ぎて桑野に到着。この駅では病院へ行くというお年寄りが下車した。
桑野を過ぎると竹藪の美しい葉並が見えてきた。葉並の風にそよぐ風情は何物にも代え難い。車内で写真を撮っていると地元の人が「このあたりは有名な竹の子の産地でね、竹の子シーズンには出荷の人たちで賑わうのよ」と教えてくれた。
列車は喘ぎながら上り勾配を進み新野駅を過ぎて国道55線と交差するあたりから車窓風景はローカル線の旅情をいやが上にも高めてくれる。小さなトンネルが続き左右に清流が見え隠れしながらやがて列車は下り勾配を走って由岐駅に到着した。由岐駅はコミュニティー施設を併設したJR四国初めての木造2階建てのモダンな駅。1階には駅施設と観光案内所そして町の特産品コーナーが、2階にあがると歴史民族展示コーナーなどがあって町の玄関口としての機能を果たしている。町を歩くと見事な松林と海岸に行き着いた。
そこには田井ノ浜海水浴場があって夏場は特急列車も停まる臨時停車場、「田井ノ浜駅」があった。この駅は列車から降りればすぐそこが砂浜、日本一海水浴場に近い駅だ。列車は木岐、北河内を過ぎて日和佐駅に到着。ウミガメの来る町として有名な日和佐駅は駅舎もウミガメを型どったもの。また厄除けの寺として知られている薬王寺も駅の近くにあって日和佐は徳島県南観光の中心になっている。列車は山河内、辺川を過ぎるあたりから南国特有の明るさに包まれ13時ジャストに牟岐駅に到着した。
ここは牟岐線の中でも数少ない列車の交換設備のある駅でこの日も発車までの間に海部発上り普通列車と行き違った。牟岐駅は昭和48年まで牟岐線の終着駅だったこともあってホームは島式の1面2線で留置側線も備えている。これから先海部までの11.6キロは昭和48年10月に四国循環鉄道の一環として開通し牟岐線に編入された。14時38分、後部の一両を切り離した普通列車は海部に向けて発車。牟岐駅から5分で鯖大師として信仰を集めている鯖瀬駅に、そして6つのトンネルを抜けて浅川駅へ、列車はダイヤ通りに阿波海南駅を通過し名物?海部トンネルを通り抜けて終点海部駅に到着した。JR牟岐線はここで終わる。海部駅の2面2線のホームにはその先を走る阿佐海岸鉄道の気動車が待っていた。私の牟岐線の旅はここで終わった。
HP管理人の一言
牟岐線の走る徳島県は阿波踊りで代表される魅力ある観光地であることに代わりはない。ただ明石大橋の開通と共に物流が変わった。古くは小松島港、徳島港など阪神地区との船便や列車による物流が主流だったが、平成10年本四公団「神戸淡路鳴門自動車道(神戸-鳴門ルート)」の全通以来人の流れが変わった。高速道を利用しての大型高速バスが何本も徳島-阪神間を往復している。確かに早い。それによって高徳線も牟岐線も少なからず影響を受けている。しかし大型観光バスでやってくる通過型の観光で本当に徳島・牟岐線の魅力が理解出来るだろうか。私は「旅の真髄はただ早く目的地に着くだけが全てではない」を持論にしている。これからの観光は「友人・家族あるいは一人でゆっくりと自分発見の旅、滞在型の旅行が時代の主流になる」と信じている。そな観点から徳島-海部間79.3キロを走る牟岐線は魅力いっぱいの路線だ。立江駅は19番札所立江寺の門前駅の役目を果たし、日和佐駅で降りると厄除けの寺、23番札所として知られている薬王寺がある。この境内を歩くと年輩の人には吉川英治の時代小説「鳴門秘帖」の法月弦之丞を思い起こす人もいるだろう。また鯖瀬駅は弘法大師と鯖の出会いの伝説地で知られ、鯖大師として信仰をめている本堂にも近い。四国88カ所を列車で巡るのも面白い。そんな「自分発見の旅」を今回この牟岐線で実践した。また、若い人には「阿波室戸シーサイドライン」としての牟岐線はきっとあなたを打ち寄せる波の音と緑のトンネルで迎え、マリンスポーツやグルメ探訪に誘ってくれる事だろう。この夏、私のローカル線の旅は自分史発見の旅でもあった。