年齢が重なると生まれ故郷が懐かしくなる。平成21年の年明けまもない1月末に久しぶりに両親の墓参りを兼ねて大阪岸和田市へ帰った。冬晴れの故郷を歩くと小さい頃の思い出が走馬燈のように蘇ってくる。私が高校生の頃、隣の家に新婚夫婦が引っ越して来て家族ぐるみで親しくしていた。ご主人は名古屋大学を出たエンジニアで蔵書の多さにびっくり。私はよくこの家の本棚から石坂洋二郎の「若い人」や「乳母車」、林房雄の「息子の結婚」、今東光の「河内風土記」や「悪名」、源氏敬太の「三等重役」などを借りてむさぶるように読んだ。
そして奥さんはふくよかな美人。そのせいか思春期の私には本を借りに隣に出かけるのが楽しみだった。その奥さんは隣町の貝塚市水間の出身でよく水間寺の事や1月3日の千本餅つきの話をしてくれた。故郷の町をそんな思いで歩いていると無性に水間寺に行きたくなった。
水間寺には嘗て今東光和尚が住職を務めたこともあり小説のイメージと重なって心がはやる。南海電鉄貝塚駅で下車し改札を出て東に歩くと1面2線の水間鉄道貝塚駅があった。昼間は1時間に3本のダイヤで今度は11時3分の発車。駅の待合室はホーム片側に留置している2両の列車。車内には水間寺節分会のポスターが張られ春の近い事が感じられる。
この水間鉄道は大正13年に水間寺への参詣者輸送の目的で設立され翌14年に営業を開始。昭和9年に南海本線貝塚駅乗り入れが実現し、現在貝塚駅から水間駅までの5.5㎞を単線電化の14分で結んでいる。その間無人駅が8駅あって水間鉄道の路線には東急の7000系電車が走っていた。11時前、1番ホームに折り返し水間駅行き2両編成の電車が入線。ステンレス製車両にトレーナー姿の高校生らが乗ってきた。
電車は11時3分定刻発車し、ゆっくり左にカープすると2分ほどで最初の停車駅「貝塚市役所前」に到着。右側に貝塚市役場など近代的な行政施設が駅の古めかしさとは対照的に目に入る。ここから終点水間までほぼ一直線の路線だ。市役所前から400mほど走ると「近義の里駅」についた。ここでトレーナー姿の高校生が下車し急に車内が静かになった。
電車は運転手と車掌さんの2名の乗務員で運行されていた。肩からカバンを提げた車掌さんが途中乗車のお客さんにキップを売っている姿が懐かしく目に入る。やがて電車はJR阪和線の下をくぐって「石才駅」に到着。車内は10人程のお年寄りになった。そして駅間距離800mを走って列車は「清児駅」へ着いた。
嘗てこの清児駅から和歌山県粉河町までを結ぶ紀泉鉄道延伸計画もあったが資金難から中止になったと聞く。今も清児駅付近には工事の名残りを見ることが出来る。始発の貝塚駅から7分程で列車交換の出来る「名越駅」に着いた。既に貝塚行き電車が入線していた。名越駅を出ると車窓からの景色が一変する。郊外の住宅風景から田畑の広がる田園風景へ。
ここに来てやはり水間鉄道はローカル線だったと周囲の景色が教えてくれた。1.1㎞ほど走って電車は「森駅」のホームに滑りこんだ。ここから水間駅は近い。冬晴れの泉州の田園風景を楽しんでいる内に「三ツ松駅」、「三ヶ山口駅」を過ぎて11時17分終着駅「水間」に到着。水間駅には嘗てこの路線を走っていた旧南海電鉄の501系クハ553号車両が保存されていた。そして駅の端からは車両基地に留置の7000系車両も見える。改札口横の事務室には運転操作盤があって列車運行を制御していた。
水間駅に私が降り立った日は冬場の平日だったせいか駅は閑散。設置されている自動改札機が何かしら寂しげに見えた。水間駅は寺社造りの小さな駅舎だが、水間観音への参拝駅として周囲に重厚な雰囲気を醸しだしている。また木造で趣きのある水間駅は「近畿駅100選」に選ばれ、「国登録有形文化財」にも登録されている。ここから町中を歩いて水間寺に向かった。
町並みには古い家が多く寒い冬晴れの中にも春近しを感じさせてくれる。高校生の頃に心ときめかせた隣のきれいなあのお姉さんもこの水間の町で生活していたのかと遠い遙かな時空に思い馳せながら水間寺を目指した。駅から徒歩7分程で水間寺に到着。近水川に架かる厄除橋を渡って境内へ。
水間寺には山門や仁王門のないせいか明るく開放的な雰囲気を感じるのは私だけだろうか。それとも金東光和尚が住職を勤めていた影響なのだろうか。私には満員の水間鉄道に乗って母に連れられ正月3日の「千本餅つき」を見に来た思い出が脳裏をかすめる。行基が開祖した水間寺は聖観世音菩薩の霊験を求める観音詣で賑わい、多くの人の信仰を集めてきた。境内には受験生を連れたお母さんやお年寄り、それに子供を連れた若い夫婦や女性グループの多さに驚いた。本堂・三重塔から少し離れた愛染堂には「お夏清十郎の墓」もあって旅情を満喫させてくれる。
帰路は駅員さんに聞いた「水間鉄道いまむかし展」を開催している貝塚市歴史展示館を訪ねた。清児駅で下車し、嘗ての水間街道を40分程歩いて歴史博物館へ。ここは東京オリンピックで「東洋の魔女」として活躍した日紡貝塚チームの貝塚工場の跡地。嘗ての工場事務所を改装して平成17年に開館。その展示室に水間鉄道80余年の歩みを写真資料中心に紹介展示。鉄道ファンには見逃せない企画展が開催されていた。
水間鉄道思い出のスナップ / 水間鉄道いまむかし展より