お盆休みを利用して天橋立で有名な宮津へ行くことにした。勿論青春18キップでのローカル線の旅だ。いつもの山陽本線瀬戸駅から姫路行き普通列車に乗り、播但線経由で北近畿の交通の要衝、福知山に向かった。実は天橋立もさることながら3セク鉄道「北近畿タンゴ鉄道宮福線」に乗ることが大きな目的だった。宮福線のルーツは古い。大正12年に福知山-河守を走った「北丹鉄道」にまで遡る。先ずは福知山市内にある「福知山鉄道館ポッポランド」を訪ねた。福知山駅から徒歩15分の新町商店街にポッポランドはあった。
福知山鉄道館ポッポランド
この鉄道館は旧銀行の建物を利用した鉄道博物館で平成10年9月に開館。館内には北丹鉄道やこの地方の鉄道資料が数多く展示されている。入り口は北丹鉄道の当時の改札口が迎えてくれる。周囲には懐かしい時刻表や駅名標が展示され鉄道ファンには魅力いっぱいのポッポランドだ。
ちょうど訪ねた日が休日だったせいか、鉄道好きなパパに連れられた子供が珍しそうに館内を走りまわっていた。北丹鉄道は由良川に沿って福知山から丹後由良に至る鉄道として計画され大正12年に河守までの12.4キロが開通した。その後は時代の趨勢に流されながらも地域の足として走り続けてきたが資金難や不運も手伝ってついに全線開通の夢を果たすことなく昭和46年3月、その歴史に幕を閉じた。
その一方で河守・宮津を結ぶ「宮津鉄道」が計画され昭和28年に国鉄新線として「宮守線」の建設が決定したが、国鉄再建のあおりを受けてこの建設は第3セクターの「宮福鉄道」に引き継がれた。新線建設は旧北丹鉄道の路線を継承して進められ昭和63年、福知山・宮津間の30.4キロが開通した。そして平成元年には宮津線と宮福線を統合した3セク「北近畿タンゴ鉄道」が発足。また平成8年にはJR特急の天橋立乗り入れを視野に宮福線は電化され今日に至っている。
そんな宮福線の知識を胸に福知山駅に向かった。北近畿タンゴ鉄道はJR駅西側の宮福線専用ホームから発着している。ホームには富士重工製MF100型のDCが停車していた。乗車するDCはモスグリーンの落ち着いた車両だ。乗車する12時18分の列車はキャンプ帰りのボーイスカウトら乗客30人程を乗せて定刻発車した。
福知山駅を出るとしばらくJR山陰線と並行して走る。厚中問屋駅を過ぎ、途中宮福線の車両基地を見ながら走って荒河かしの木台駅に到着。ここまで1面1線の路面電車の停留所のような簡易な駅が続く。やがて山陰線と分かれて右にカーブして狭間トンネルに入る。それを抜けると牧駅。そしてトンネルを抜けて下天津駅へ。この駅で15人程のボーイスカウトが降りて車内にゆとりが出来た。
右手車窓に国道175号線を見ながら大江町に入る。列車は公圧駅を過ぎ宮福線中間駅で唯一特急の停車する大江駅に12時37分到着した。大江駅は近畿駅100選に選ばれた駅。鬼伝説で有名な大江町観光の拠点になっている。町の商工物産館と一体になった駅舎2階には有名鬼瓦を集めた展示室が、駅正面には鬼瓦の並ぶ鬼瓦公園があって面白い。
鬼の回廊に鬼の酒噴水、鬼の街灯に鬼のマンホールと、鬼一色の鬼瓦公園。鬼といえば「怖いもの」というイメージなのに、大江町の鬼は茶目っ気たっぷり。ここを訪れる人を優しく出迎えてくれる。そんな鬼達に見守られて鬼弁当ならぬ甘い鬼饅頭を駅の売店で買った。
優しい大江の鬼達に見送られて14時44分の列車で宮津を目指した。次の大江高校前駅で3人の女子高生が乗車。この駅を過ぎ、真っ直ぐ北上して二俣駅となる。宮福線は電化された路線なのに北近畿タンゴ鉄道は電車を一台も保有していない。山陰線高速化の一環として電化された経緯からなのか、その恩恵は全て天橋立まで乗り入れているJR特急だけだと云う所に宮福線の開通経緯が伺われる。列車は宮川に沿って北上して、大江山口内宮駅で上り列車と交換してまたトンネルに入る。トンネルを抜けると宮津市に入った。
辛皮駅を過ぎ再びトンネルに入る。実にトンネルが多い。普甲トンネルを抜けると綾部宮津道路と並行して走り喜多駅に着いた。車内には15人程乗っていたが半分ほどが観光客のようだ。喜多駅を出て高速道路とる交差して宮村駅を過ぎると宮津の市街地が見えてきた。やがて左手に宮津線の線路が近づいてきて、それと合流して15時9分宮津駅4番ホームに到着した。
宮福線と宮津線を結ぶ宮津駅は海園都市「宮津市」の観光拠点として夏場は多くの乗降客で賑わっている。それとは裏腹に宮福線ホームに近い裏正面には宮福線開通を祝っての記念碑がひっそり建っていた。 宮福線の歴史は日本鉄道史の一部を垣間見るような80余年だった。時代の変遷と共に鉄道の果たす役割も大きく変化する。新幹線の出現で鉄道の都市間輸送が見直される一方で、地方の旅客貨物輸送は飛行機や高速道にその主流を譲ろうとしている。そんな時だからこそ鉄道黎明期から今日まで鉄道に心血を注いできた先人の歩みを振り返ることは意義あることだと私は考える。そんな視点から福知山鉄道館ポッポランドの存在は大きい。今各地にある鉄道資料館は千差万別だ。土讃線琴平駅に併設されている鉄道資料館は閉館のまま。信楽線信楽駅構内や福塩線上下駅構内の展示コーナーは元気に鉄道の生い立ちを語り伝えている。JRになって路線の収支状況だけで鉄道を廃止したり、新幹線が開通したから並行在来線を軽んじる風潮はいかがなものだろうか。
そこには我々が忘れてならない先人の生活文化史までも葬り去ってはいないだろうか。そんな思いを強くして北近畿タンゴ鉄道宮福線を後にした。