信楽高原鉄道に乗る

信楽高原鉄道に乗る
  • 貴生川駅信楽線乗り場

    貴生川駅信楽線乗り場

  • 年始の楽しみのひとつに年賀状で懐かしい人の近況を知ることだ。今年学生時代の友人A子から年賀状が届いた。京都御所近くのD大学で学生時代を過ごした私には当時国鉄信楽・草津・東海道線を乗り継いで信楽から通学してくるA子に淡い恋心を抱いていた。2人は大学のキャンパスで、ある時は御所を歩きながらよく話した。きまって彼女は信楽の話をする。信楽は聖武天皇の時代に紫香楽宮として開かれた歴史ある町だとか、信楽焼は日本六古窯のひとつで1200年余りの歴史があり、狸の焼き物は戦後昭和天皇が行幸の折、陶製の狸を見て気に入られそれを歌に詠んだことから全国的に有名になったとか、楽しそうに熱く信楽を語る。

    そんな彼女の顔が今でも鮮明に蘇る。あれから数十年、そんな学生時代の思い出に触発されて冬晴れの師走土曜日久し振りに信楽高原鐵道に出かけてみた。信楽高原鐵道の始発・貴生川駅ではJR草津線上りホーム反対側の0番線から信楽高原鐵道の列車が発着している。

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    この日は沿線の子供たちを乗せてのサンタ列車に乗り合わせた。サンタ姿の職員が手際よく親子を車内に案内。ホームにはサンタ列車のヘッドマークを付けた車両に狸のイラストが大きく描かれた2両連結のディゼルカーが停車していた。白髪まじりの運転手さんが手際よく折り返し運転の準備点検をしていた。乗客は50人程で座席は満員、発車間際に年輩の旅行者が乗ってきた。乗るやいなや運転手さんに「連れが今トイレに行っているので少し発車を待って!」と大阪弁で頼んでいた。くだんの乗客が足早に乗車するやサンタ列車は発車した。信楽高原鐵道は貴生川(水口町)と信楽間を結ぶ延長14.7Kmの非電化の鉄道。列車は貴生川駅0番ホームを発車するとすぐに右へ大きく曲がり、杣川鉄橋を渡ると一直線の線路を走ってやがて上り勾配にさしかかる。標高664mの飯道山の裾野を走るガタンゴトンという響きがいかにもローカル線の旅情を盛り上げてくれる。

    • 地元女子大生のサンタさん

      地元女子大生のサンタさん

    • モールやリースで装飾の車内

      モールやリースで装飾の車内

    • 列車でのクリスマス会を楽しむ子供達

      列車でのクリスマス会を楽しむ子供達

    信楽地方は昔から交通の便が悪かった。鉄道も昭和8年、貨物輸送を中心にした国鉄信楽線が開業。しかし、昭和18年に不要不急路線に指定され営業休止。レール等は戦時物資として供出。戦後、地元住民の熱い思いで昭和22年に営業再開にこぎつけ、陶器だけでなく人も乗せる「混合列車」が走りだした。しかし昭和30年代のモータリゼーションは貨物列車を廃止に追いやり、列車は旅客だけを乗せて走りだした。その後営業不振の続く信楽線は1981年に国鉄の「第一次特定地方交通線」に指定され廃止の憂き目に直面したが、地元の足として存続を望む地元沿線の思いは、昭和62年にJR信楽線を引き継いで第三セクター「信楽高原鐵道」を誕生させた。

    列車衝突事故のあった小野谷信号所付近

    列車衝突事故のあった小野谷信号所付近

    貴生川駅から6キロ余りの所で標高差171m、33/1000の急勾配の森林地帯を通り抜けると列車の行き違いの出来る小野谷信号所が見えてきた。平成3年5月、この先で列車衝突事故があった。乗客42名が死亡するという大惨事が発生。あれから20年、現在は高速道路の立体交差も進み、線路脇には「鉄道安全宣言の町」という看板が立ち、あの大惨事の教訓が沿線の至る所で生かされている。

    乗車すること15分程で紫香楽宮跡駅に到着した。この駅から歩いて10数分のところに国指定の紫香楽宮跡がある。ここには聖武天皇の離宮があった所で「今は大きな礎石だけが残っている」と乗客が教えてくれた。この駅からおばあさんが2人乗車、列車は先ほどまでの急勾配の森林地帯から平坦な田畑が広がる信楽盆地に入った。そんな田園地帯を列車は勅旨、玉桂寺前駅へと進む。

    貴生川から25分で信楽駅に到着

    貴生川から25分で信楽駅に到着

    窓から見える景色に「ここから2キロ陶芸村」など信楽焼の看板が目立ち始め焼き物の里に近づいたことがわかる。列車は国の登録有形文化財に登録されている第一大戸川鉄橋を渡って終着駅「信楽」に到着した。クリスマス装飾の
    信楽駅では陶製の狸が出迎えてくれた。

    近畿の駅百選に選ばれている2面2線の信楽駅ホームには大量の狸の置物があって駅構内の至る所で狸が微笑んでいる。愛想のいい駅員さんは「陶芸センターや伝統産業館も面白いですよ」と教えてくれた。信楽駅を一歩出ると、高さ
    5メートルのサンタ姿の大狸が出迎えてくれた。

    • サンタ姿の大狸 

      サンタ姿の大狸 

    • 信楽駅舎

      信楽駅舎

    • ホームで狸の出迎え

      ホームで狸の出迎え

    道筋に大小さまざまなユーモラスな狸の置物が並ぶ町の光景は、他では見られない焼き物の里として、独特の雰囲気に満ちている。陶製タヌキの顔を見ていると、ふと学生時代に出会ったA子は信楽タヌキの化身だったのではないかと一瞬そんな錯覚に陥る。

    帰りに使用後は飾り物にもなる「陶製来福記念乗車券」を買って帰路についた。今回の信楽高原鐵道の旅はそんな数十年前にタイムスリップした私の感傷旅行だった。

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    信楽高原鉄道に乗る

    信楽高原鉄道に乗る
  • 貴生川駅信楽線乗り場

    貴生川駅信楽線乗り場

  • 年始の楽しみのひとつに年賀状で懐かしい人の近況を知ることだ。今年学生時代の友人A子から年賀状が届いた。京都御所近くのD大学で学生時代を過ごした私には当時国鉄信楽・草津・東海道線を乗り継いで信楽から通学してくるA子に淡い恋心を抱いていた。2人は大学のキャンパスで、ある時は御所を歩きながらよく話した。きまって彼女は信楽の話をする。信楽は聖武天皇の時代に紫香楽宮として開かれた歴史ある町だとか、信楽焼は日本六古窯のひとつで1200年余りの歴史があり、狸の焼き物は戦後昭和天皇が行幸の折、陶製の狸を見て気に入られそれを歌に詠んだことから全国的に有名になったとか、楽しそうに熱く信楽を語る。

    そんな彼女の顔が今でも鮮明に蘇る。あれから数十年、そんな学生時代の思い出に触発されて冬晴れの師走土曜日久し振りに信楽高原鐵道に出かけてみた。信楽高原鐵道の始発・貴生川駅ではJR草津線上りホーム反対側の0番線から信楽高原鐵道の列車が発着している。

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    この日は沿線の子供たちを乗せてのサンタ列車に乗り合わせた。サンタ姿の職員が手際よく親子を車内に案内。ホームにはサンタ列車のヘッドマークを付けた車両に狸のイラストが大きく描かれた2両連結のディゼルカーが停車していた。白髪まじりの運転手さんが手際よく折り返し運転の準備点検をしていた。乗客は50人程で座席は満員、発車間際に年輩の旅行者が乗ってきた。乗るやいなや運転手さんに「連れが今トイレに行っているので少し発車を待って!」と大阪弁で頼んでいた。くだんの乗客が足早に乗車するやサンタ列車は発車した。信楽高原鐵道は貴生川(水口町)と信楽間を結ぶ延長14.7Kmの非電化の鉄道。列車は貴生川駅0番ホームを発車するとすぐに右へ大きく曲がり、杣川鉄橋を渡ると一直線の線路を走ってやがて上り勾配にさしかかる。標高664mの飯道山の裾野を走るガタンゴトンという響きがいかにもローカル線の旅情を盛り上げてくれる。

    • 地元女子大生のサンタさん

      地元女子大生のサンタさん

    • モールやリースで装飾の車内

      モールやリースで装飾の車内

    • 列車でのクリスマス会を楽しむ子供達

      列車でのクリスマス会を楽しむ子供達

    信楽地方は昔から交通の便が悪かった。鉄道も昭和8年、貨物輸送を中心にした国鉄信楽線が開業。しかし、昭和18年に不要不急路線に指定され営業休止。レール等は戦時物資として供出。戦後、地元住民の熱い思いで昭和22年に営業再開にこぎつけ、陶器だけでなく人も乗せる「混合列車」が走りだした。しかし昭和30年代のモータリゼーションは貨物列車を廃止に追いやり、列車は旅客だけを乗せて走りだした。その後営業不振の続く信楽線は1981年に国鉄の「第一次特定地方交通線」に指定され廃止の憂き目に直面したが、地元の足として存続を望む地元沿線の思いは、昭和62年にJR信楽線を引き継いで第三セクター「信楽高原鐵道」を誕生させた。

    列車衝突事故のあった小野谷信号所付近

    列車衝突事故のあった小野谷信号所付近

    貴生川駅から6キロ余りの所で標高差171m、33/1000の急勾配の森林地帯を通り抜けると列車の行き違いの出来る小野谷信号所が見えてきた。平成3年5月、この先で列車衝突事故があった。乗客42名が死亡するという大惨事が発生。あれから20年、現在は高速道路の立体交差も進み、線路脇には「鉄道安全宣言の町」という看板が立ち、あの大惨事の教訓が沿線の至る所で生かされている。

    乗車すること15分程で紫香楽宮跡駅に到着した。この駅から歩いて10数分のところに国指定の紫香楽宮跡がある。ここには聖武天皇の離宮があった所で「今は大きな礎石だけが残っている」と乗客が教えてくれた。この駅からおばあさんが2人乗車、列車は先ほどまでの急勾配の森林地帯から平坦な田畑が広がる信楽盆地に入った。そんな田園地帯を列車は勅旨、玉桂寺前駅へと進む。

    貴生川から25分で信楽駅に到着

    貴生川から25分で信楽駅に到着

    窓から見える景色に「ここから2キロ陶芸村」など信楽焼の看板が目立ち始め焼き物の里に近づいたことがわかる。列車は国の登録有形文化財に登録されている第一大戸川鉄橋を渡って終着駅「信楽」に到着した。クリスマス装飾の
    信楽駅では陶製の狸が出迎えてくれた。

    近畿の駅百選に選ばれている2面2線の信楽駅ホームには大量の狸の置物があって駅構内の至る所で狸が微笑んでいる。愛想のいい駅員さんは「陶芸センターや伝統産業館も面白いですよ」と教えてくれた。信楽駅を一歩出ると、高さ
    5メートルのサンタ姿の大狸が出迎えてくれた。

    • サンタ姿の大狸 

      サンタ姿の大狸 

    • 信楽駅舎

      信楽駅舎

    • ホームで狸の出迎え

      ホームで狸の出迎え

    道筋に大小さまざまなユーモラスな狸の置物が並ぶ町の光景は、他では見られない焼き物の里として、独特の雰囲気に満ちている。陶製タヌキの顔を見ていると、ふと学生時代に出会ったA子は信楽タヌキの化身だったのではないかと一瞬そんな錯覚に陥る。

    帰りに使用後は飾り物にもなる「陶製来福記念乗車券」を買って帰路についた。今回の信楽高原鐵道の旅はそんな数十年前にタイムスリップした私の感傷旅行だった。

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