岩国と徳山を結ぶ岩徳線は正式には岩国駅から櫛ヶ浜駅までの43.7キロだが全列車櫛ヶ浜駅から山陽本線に乗り入れ徳山駅までの47.1キロを走っている。もともと山陽本線の短絡線としての機能を担って昭和4年に工事が始まり昭和9年に櫛ヶ浜駅まで開通した。一時はこの区間が海岸線柳井経由に代わって山陽本線として活躍した時期もあった。そのため沿線には長大編成用ホームや立派な駅が今でも昔の面影を残している。そんな岩徳線に乗車しようと8月のある日徳山駅を訪ねた。石油化学コンビナートの街、徳山市は最近市町村合併で周南市となり活気に満ちている。徳山駅3番ホームにはこれから乗車するキハ40型ワンマンカーが停車していた。
気動車は定刻11時43分に岩徳線の西の基点、櫛ヶ浜駅に向けて発車。乗客は40人程度、ボックス席が一杯なのでロングシートに座って天井の扇風機がかき混ぜる風に汗ばんだ体を委ねていると姪ケ浜駅に到着した。ここから若いカップルが1組乗り込んできた。
櫛ヶ浜を出て新幹線の高架下をくぐると花岡八幡宮への下車駅、周防花岡駅へ。その後も列車は新幹線と並走しながら周防久保駅に向けて走る。隣に座るお年寄りがキョロキョロ見まわす私に「この付近からは周南工業地帯への通勤客が
多いですよ」と話しかけてくれた。やがて列車は勝間駅に到着。「この駅は駅業務を農協に委託し鉄筋2階建てのビルに併設された珍しい駅」、そんな説明を加えてお年寄りは列車を降りていった。
勝間から4分余りでナベヅルの飛来地として有名な高水駅に到着。ここには10月下旬から100羽前後の鶴が飛来するという。列車は中山トンネルを抜け長野川を渡りやがて交通の要衝、玖珂盆地の中央にある周防高森駅に着いた。ここでは下り列車が待避していた。12時29分、列車は昔山陽道の宿場町として栄えた玖珂に到着。ローカル線にしては乗降客の多い岩徳線各駅の中で玖珂駅でも大勢の人が乗り込み座席は8割がたふさがった。やがて列車はかつての難所、欽明路峠の下を抜けて柱野駅に着いた。そして気動車は森ケ原トンネルを抜け、森ヶ原信号所で錦川清流線と一緒になって川西駅に到着した。
川西駅は高台にある棒駅だがかつては岩国と山口線の日原を結ぶ予定の岩日線の起点駅だった。途中計画が頓挫して現在は錦町までの錦川清流線列車と岩徳線列車が発着している。この駅は学生の乗降客が多く、この日も甲子園に出場の決まった岩国高校の学生が大勢乗り込んできた。列車は洋風停車場の雰囲気を残す西岩国駅に到着。「一時この駅が岩国駅と呼ばれ岩徳線が山陽本線だった頃は大いに賑わっていた」と隣に座る乗客が懐かしそうに話してくれた。そんな雰囲気を今も伝える西岩国駅を過ぎ、列車はゆっくり山陽本線と合流して終着岩国駅に定刻12時57分に到着した。
数奇な運命をたどった岩徳線に乗った。昭和始め鉄道土木技術の粋を駆使して開通した岩徳線も欽明路峠のトンネル掘削には難渋したことだろう。開通から10年余り山陽本線の幹線として活躍した面影が沿線各地で見受けられる。しかし、その後の時代の流れはより山陽本線に輸送力の増強を求めたのだろう。欽明路峠経由の複線工事よりも海岸線柳井経由の工事の方が距離が長くても容易だったのだろうか。いづれにしても昭和9年から19年までの山陽本線だった岩徳線に今、山陽新幹線がほぼ同じルートで並走している。単行非電化ワンマンカーに乗っての岩徳線の旅はなんだか時代の流れに翻弄された鉄道の姿を垣間見る旅でもあった。