姫路線に乗る

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姫路駅

姫路駅

陽春の1日、姫路と岡山県新見を結ぶ姫新線に乗って播磨の小京都と呼ばれる龍野や岡山県北部の津山や中国勝山を訪ねてみた。姫新線は兵庫県姫路駅から岡山県新見駅までの中国山地沿いを走る158.1Kmの全線非電化単線の地方交通線で昭和11年に全通。沿線には湯郷温泉への下車駅林野、蒜山高原への入口中国勝山などを控え、嘗ては急行「みまさか」が走る山陽と山陰を結ぶ陰陽連絡線の一つでもあった。

しかし昭和50年代以降、高速道路の開通や平成6年の智頭線開業などで陰陽連絡線としての役目もなくなり観光客も減少して今や姫新線は地域輸送中心の鉄道となった。そんな予備知識を頭に5月のある日、姫新線の始発駅姫路に出かけた。姫路駅では1989年から連続立体交差化工事が始まり2008年の工事完成まで順次在来線は高架ホームに移転したが、姫新線と播但線だけは最後まで平地の旧ホームから発着していた。

姫路駅のキハ127系新型車両

姫路駅のキハ127系新型車両

。連続立体交差化工事は2008年12月に完成し姫新線・播但線も高架ホームに移転し、3面8線の高架ホームが完成した。私が始めて姫新線に乗ったのはまだは列車が平地ホームの0番・1番ホームから発着していた。通勤通学時間帯に到着する列車からは大勢の乗客が降りてくる。私はそんなラッシュアワーも過ぎた0番線ホームから9時2分発の播磨新宮行きキハ47系DCに乗って姫新線の旅をスタートさせた。

列車は姫路駅を出てすぐに山陽電鉄と新幹線の高架をくぐり最初の停車駅・播磨高岡駅に到着。このあたりはまだ姫路市街地のせいか乗車していたビジネンマンが大勢下車。列車は夢前川を渡って余部駅へ。遠くに姫路城を見て列車は右にカーブして丘陵を上がって行く。あたりには竹林が多くタケノコの産地だと隣に座るおばあさんが教えてくれた。通勤通学時間帯の外れた車内は10人前後の乗客が窓に差し込む陽春の日差しとカタンコトンというレールの響きに身を委ね、のんびりした光景にローカル線の楽しさを感じるのは私だけだろうか。やがて右手車窓に姫路駅立体交差工事に伴い移転してきた姫路鉄道部の車両基地が見えてきた。

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列車は左右に灌漑用のため池を見ながら太市駅を過ぎ林田川を渡る。春先にはこの林田川の河川敷に菜の花が咲き乱れると聞く。しばらく走って本竜野駅2番ホームへ9時37分に着いた。姫路から35分の乗車だった。本竜野駅は2面2線の構内でホームも長く、姫新線全盛時代の雰囲気を感じさせてくれる

木造の古い駅舎を出て胸いっぱい深呼吸すると醤油の匂いが鼻に、目には「童謡の里、龍野」と書いた大きなPR看板が飛び込んできた。早速駅前の観光案内所で龍野遊歩マップや龍野のパンフレットをもらった。

龍野は兵庫県南西部に位置し中央部を流れる揖保川は昔から醤油・素麺・皮革などの伝統産業を育てながら西播磨の文化産業の中心地として栄えて来た。また脇坂藩5万3千石の城下町として市内には武家屋敷や白壁土蔵が今なお残り、自然に恵まれた山紫水明のこの町は「播磨の小京都」と呼ばれるにふさわしい雰囲気を漂わせていた。駆け足で竜野の町を見て廻った後は10時37分発の列車に乗って姫新線の旅を続けた。
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本竜野から一駅目の東觜崎駅の裏に、揖保乃糸で有名な手延素麺の大きな工場が建っている。そしてこの駅から10分ほど東に「揖保の糸素麺の里」があって本場手延べ素麺が楽しめる。東觜崎駅から国道179号線と揖保川を見ながら5分程で2面3線の播磨新宮駅に到着した。

播磨新宮では佐用行きワンマンカーに乗り換え西を目指す。播磨新宮から列車は揖保川と別れ、山間の狭い水田地帯を走る。棒駅の千本駅を過ぎる辺から右車窓に山々が迫り、その後に続く田園風景は姫新線の魅力の一つだ。西栗栖駅を過ぎ列車はあえぎながら相坂峠をトンネルを越え、播磨の田園風景の中をしばらく走って、前方の里山斜面に三日月型の植林が見えてくるとまもなく三日月駅だ。この駅南側には農地が広がり、夏にはヒマワリが咲き乱れると隣に座るお年寄りが教えてくれた。

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ここから佐用まであと9Km。列車は小さなトンネルを抜けて播磨徳久駅に到着。この駅はヒマワリの里として有名でシーズンには多くの人が訊ねると聞く。播磨徳久は1面1線の無人駅だが駅舎は地元ふれあいセンターを兼ねた施設として使用されている。列車は播磨徳久を出て右へカーブすると姫新線で最長、1150mの佐用トンネルに入る。長いトンネルを抜け国道179号線としばらく並走して列車は平成6年に開業した智頭急行と合流する作用駅へ11時24分に到着した。

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佐用は昔から出雲街道と因幡街道の宿場町として栄え、現在は播磨と美作を結ぶ姫新線の中核駅として、また智頭急行線の開業で陰陽連絡線の要衝駅として現在に至っている。

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姫新線の起源は昭和4年に作備西線として新見-岩山間の営業開始まで遡る。翌年の昭和5年には津山~新見を結ぶ作備線として開通。そして昭和11年に開通した津山~姫路間の姫津線と統一して現在の姫新線になった。そのため姫新線の特徴は次の3区間で大きく異なる。姫路~佐用の区間は姫路への通勤通学、都市型近郊線の性格が強く、佐用~津山の区間は陰陽連絡の性格を色濃くし、津山~新見の区間は観光山岳鉄道の性格を強く感じるのは私だけだろうか。現在、姫新線には全線直通で走る列車はなく全て佐用駅(一部上月駅)で乗り換える。

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11時43分、津山行きキハ120系ディゼルカーに乗り換え佐用駅を出発。列車はしばらく智頭急行線の高架と並走し、やがて右にカーブし智頭線の高架下を横切って上月駅に向かう。佐用川を渡ると列車は姫新線で兵庫県内の西端の駅、上月に着いた。上月駅舎は無人駅だが、駅には佐用特産物直売所が併設され、待合室ではうどんや山菜蕎麦などが食べられる。姫路からこの駅までは神戸支社姫路鉄道部の管轄。

この区間では「姫新線・新かぐや姫伝説」というキャンペーンが実施されている。これは姫新線の利用促進と地域の活性化を狙ったもので、沿線の古いものを活かしながら新しいものをつくることを念頭に、姫新線との共存共栄の生活を提案している。そんな視野で姫路から上月までの沿線をじっくり訪ねてみるのも面白い。列車は上月を出るとカーブを繰り返しながら兵庫と岡山の県境、万ノ峠トンネルを越えて岡山県側の美作土居駅に到着した。

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ここから津山・新見方面は岡山支社津山鉄道部の管轄。美作土居から津山にかけての区間は昭和初期の建設だけに路盤も低い築堤や切り取りが多く、小さなカーブの繰り返しもあって時代を感じさせるローカル線だ。車窓を見ると通学時間帯の過ぎた長いホームをおしゃべりしながら歩く若い女性の姿が印象的な美作江見駅だった。

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列車はこの駅から7分程で美作江見駅に着いた。2面2線の江見駅では津山からの折り返し運転もある。美作江見から登り勾配を5分程走って棒駅の楢原駅へ。楢原は昭和29年開業の1面1線の無人駅で1日乗降客が26人(平成18年度)と言う超過疎駅。

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列車は盆地に出て梶並川を渡り、美作三湯のひとつ湯郷温泉の玄関口・林野駅に到着した。林野は昭和9年、姫津西線として東津山~美作江見間が開通した際に開業した駅で、現在は1面1線の簡易委託駅。 2011年は女子サッカー「なでしこJAPAN」の活躍で湯郷ベルの本拠地、湯郷・美作は大いに賑わった。その玄関口がこの林野駅だ。

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列車は林野から時速80Km前後のスピードで西へ向って快調に走る。製材所や建築業者の看板が目立つ勝間田駅では学生が多く乗り込んできて車内が込み合ってきた。棒駅の西勝間田、瓦の生産で知られている美作大崎を過ぎて列車は因美線との分岐駅・東津山に12時35分に到着。2面2線の東津山駅では佐用行き上り列車と交換。

ここから列車は吉井川のゆったりした流れの橋梁を渡って12時40分、津山駅2番ホームに到着した。姫路からは2時間32分の乗車だった。津山駅は姫新線の他に因美線・津山線の発着駅でこの駅にはJR岡山支社津山鉄道部があって岡山県北の中枢駅としての機能を果たしている。そして鉄道ファンには見逃せないのが津山駅構内にある旧津山扇形機関車庫と車両転車台、それに鉄道展示室だ。この施設は毎年期間を決めて公開している。津山で下車の折は是非訪ねてみたい鉄道スポットだ。

津山駅点描
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姫新線はこの時間3分の連絡で12時46分発の新見行きの列車があったので飛び乗った。列車は土曜日のせいもあってか車内は帰宅する通学生でほぼ満員の状態で出発。しばらく津山線と並走したキハ120型DCはやがて右に別れ再び吉井川を渡って津山から5分ほどで1面1線の院庄駅に到着。この駅から徒歩15分の所には児島高徳で知られている作楽神社があって今も訪ねる人が多いそうだ。列車は古い木造瓦葺駅舎の美作千代駅を過ぎて、昔の出雲街道宿場町の東にある坪井駅に到着した。坪井宿は徳川幕府が出雲街道整備のために設けた美作七駅のひとつで、今でも町を歩くと往時の雰囲気を留めている。

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そんな現在の坪井駅は列車交換可能な2面2線の無人駅で、姫新線の旅人には途中下車お勧め駅のひとつだ。坪井駅を出ると列車はサミットの美作追分を目指して急勾配の路線を上りつめながら走る。13時09分、列車は1面1線の無人駅・美作追分駅に到着。構内には2面2線だった形跡やホーム跡も残っており、駅舎は立派な福祉の館に変身していた。次の美作落合駅も2005年に駅舎が建て替えられ町の玄関口にふさわしい体裁を整えた。13時16分、列車が到着すると土曜日のせいか大勢の学生が乗り込んで1両編成の車内は満員になって発車した。棒駅の古見を過ぎ旭川の上流に沿って進むと、製材所や木材関係の看板が車窓に見えてくると久世駅だ。久世は木材の町で駅周辺には木材が高く積まれ製材所が立ち並んでいる。13時33分、列車は中国勝山駅の2番ホームに到着した。

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津山方面から列車の半分がこの駅で折り返しとなり、中国勝山から新見方面は1日8往復しか運転されていない。中国勝山駅は大正14年に開業した古い駅で、新見~津山間では1番大きな駅。昭和42年に武家屋敷風の鉄筋コンクリート屋建ての駅舎に建て替えられた。構内には勝山観光協会があり親切に町を案内してくれる。

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嘗ては「急行みまさか」が発着し蒜山高原や湯原温泉への玄関口として多いに観光客で賑わった。現在も駅前から湯原・蒜山への路線バスが運行されているがその本数は極めて少ない。列車は13時33分、30人程の乗客を乗せて中国勝駅の2番ホームを発車、すぐに勝山の町並みが見える旭川橋梁を渡り7分程で月田駅に到着した。

月田駅のすぐ横には貯木場があり、駅舎も地元木材センターを兼ねた立派な建物に林業の町の素顔を見た。月田を過ぎたあたりから勾配もきつく月田川に沿ったS字カーブの連続を列車はあえぎながら走る。隣り合わせたお年寄りが『このあたりは山もちの人が多く山林もよく手入れされ美林の多いところで、列車からの眺めも良かったが近頃は台風による倒木が整理されとらんのが残念やな!』と話す。そういえば倒木で荒れた山肌が車窓から見える。

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峠の谷間にある富原駅では木材を生かしたロッジ風のしゃれた駅舎がひときわ目立つ。この駅では中学生の一団が下車し車内は急に寂しくなった。富原駅は町施設の役目も兼ね地元木材を使用して改築された駅舎でローカル線の駅にしては立派だ。富原を出ると両側の車窓に山肌の斜面を利用した茶畑が広がってきた

そんな中を列車は勾配の厳しいS字カーブの連続する路線を短いトンネルに出入りしながら列車は傍示峠を目指す。傍示トンネルを抜けた地点が標高366mのサミット。列車は緩やかな勾配を下って小さな盆地にある2面2線の交換可能な刑部駅に到着した。この駅は大佐山への登山口でパラグライダーを楽しむ若者でシーズンには賑わうと聞く。この駅ではさらに乗客が降りて車内はすっかり寂しくなった。列車は中国地方山岳地帯の急勾配急曲線をあえぎながらひたすら走る。14時04分、1日の乗降客が20人前後と言われている丹治部駅についた。

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この駅舎も過疎ローカル線にしては立派過ぎる1面1線のモダンな駅で、切符が駅前民家の軒先で委託販売されているのも面白い。

刑部から8分程走って1面1線の岩山駅に着いた。この駅は昭和4年に 作備西線として岩山~新見間の開業に併せて設置された盲腸線の終着駅だったが、翌5年に津山まで開業し現在に至っている。
かつては相対式2面2線の構内だった事を示すホーム跡が今も残っている。

岩山駅には現在1日7往復の列車しか発着しない。今は片側の線路は撤去され、1面1線の棒駅。駅構内に入ると使われなくなったホーム跡や古びた木造の駅舎だけが全盛時の面影を残している。なんだか姫新線の今を象徴しているような寂しい駅だ。

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列車は中国山地をゆっくり走って14時21分、新見駅2番ホームに到着した。津山から1時間38分の山岳列車の旅だった。姫新線は新見駅で米子・松江方面の伯備線に、また三次・広島方面への芸備線に接続している。158.1Kmの姫新線は旅行者にいろんな顔を見せてくれる。ある時は都市通勤列車の厳しい顔を、ある時は陰陽連絡優等列車の片鱗を、そしてある時は中国山地をのんびり走る山岳列車の横顔を。そんな姫新線に魅せられたローカル線の旅だった。

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私の願いは嘗てこの姫新線に「急行みまさか」が走っていたように、姫路-佐用-津山-中国勝山-新見の全線を直通で走る快速列車の実現を望みたい。呉線の観光列車「瀬戸内マリンビュー」や山陰線の快速「みすず号」のように。姫新線関係者には姫新線とその沿線の魅力を発信する余裕と遊び心の持ち合わせて欲しい。そして来春には快速「かぐや姫号」が姫路から新見まで走っていることを願ってやまない。

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姫路線に乗る

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姫路駅

姫路駅

陽春の1日、姫路と岡山県新見を結ぶ姫新線に乗って播磨の小京都と呼ばれる龍野や岡山県北部の津山や中国勝山を訪ねてみた。姫新線は兵庫県姫路駅から岡山県新見駅までの中国山地沿いを走る158.1Kmの全線非電化単線の地方交通線で昭和11年に全通。沿線には湯郷温泉への下車駅林野、蒜山高原への入口中国勝山などを控え、嘗ては急行「みまさか」が走る山陽と山陰を結ぶ陰陽連絡線の一つでもあった。

しかし昭和50年代以降、高速道路の開通や平成6年の智頭線開業などで陰陽連絡線としての役目もなくなり観光客も減少して今や姫新線は地域輸送中心の鉄道となった。そんな予備知識を頭に5月のある日、姫新線の始発駅姫路に出かけた。姫路駅では1989年から連続立体交差化工事が始まり2008年の工事完成まで順次在来線は高架ホームに移転したが、姫新線と播但線だけは最後まで平地の旧ホームから発着していた。

姫路駅のキハ127系新型車両

姫路駅のキハ127系新型車両

。連続立体交差化工事は2008年12月に完成し姫新線・播但線も高架ホームに移転し、3面8線の高架ホームが完成した。私が始めて姫新線に乗ったのはまだは列車が平地ホームの0番・1番ホームから発着していた。通勤通学時間帯に到着する列車からは大勢の乗客が降りてくる。私はそんなラッシュアワーも過ぎた0番線ホームから9時2分発の播磨新宮行きキハ47系DCに乗って姫新線の旅をスタートさせた。

列車は姫路駅を出てすぐに山陽電鉄と新幹線の高架をくぐり最初の停車駅・播磨高岡駅に到着。このあたりはまだ姫路市街地のせいか乗車していたビジネンマンが大勢下車。列車は夢前川を渡って余部駅へ。遠くに姫路城を見て列車は右にカーブして丘陵を上がって行く。あたりには竹林が多くタケノコの産地だと隣に座るおばあさんが教えてくれた。通勤通学時間帯の外れた車内は10人前後の乗客が窓に差し込む陽春の日差しとカタンコトンというレールの響きに身を委ね、のんびりした光景にローカル線の楽しさを感じるのは私だけだろうか。やがて右手車窓に姫路駅立体交差工事に伴い移転してきた姫路鉄道部の車両基地が見えてきた。

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列車は左右に灌漑用のため池を見ながら太市駅を過ぎ林田川を渡る。春先にはこの林田川の河川敷に菜の花が咲き乱れると聞く。しばらく走って本竜野駅2番ホームへ9時37分に着いた。姫路から35分の乗車だった。本竜野駅は2面2線の構内でホームも長く、姫新線全盛時代の雰囲気を感じさせてくれる

木造の古い駅舎を出て胸いっぱい深呼吸すると醤油の匂いが鼻に、目には「童謡の里、龍野」と書いた大きなPR看板が飛び込んできた。早速駅前の観光案内所で龍野遊歩マップや龍野のパンフレットをもらった。

龍野は兵庫県南西部に位置し中央部を流れる揖保川は昔から醤油・素麺・皮革などの伝統産業を育てながら西播磨の文化産業の中心地として栄えて来た。また脇坂藩5万3千石の城下町として市内には武家屋敷や白壁土蔵が今なお残り、自然に恵まれた山紫水明のこの町は「播磨の小京都」と呼ばれるにふさわしい雰囲気を漂わせていた。駆け足で竜野の町を見て廻った後は10時37分発の列車に乗って姫新線の旅を続けた。
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本竜野から一駅目の東觜崎駅の裏に、揖保乃糸で有名な手延素麺の大きな工場が建っている。そしてこの駅から10分ほど東に「揖保の糸素麺の里」があって本場手延べ素麺が楽しめる。東觜崎駅から国道179号線と揖保川を見ながら5分程で2面3線の播磨新宮駅に到着した。

播磨新宮では佐用行きワンマンカーに乗り換え西を目指す。播磨新宮から列車は揖保川と別れ、山間の狭い水田地帯を走る。棒駅の千本駅を過ぎる辺から右車窓に山々が迫り、その後に続く田園風景は姫新線の魅力の一つだ。西栗栖駅を過ぎ列車はあえぎながら相坂峠をトンネルを越え、播磨の田園風景の中をしばらく走って、前方の里山斜面に三日月型の植林が見えてくるとまもなく三日月駅だ。この駅南側には農地が広がり、夏にはヒマワリが咲き乱れると隣に座るお年寄りが教えてくれた。

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ここから佐用まであと9Km。列車は小さなトンネルを抜けて播磨徳久駅に到着。この駅はヒマワリの里として有名でシーズンには多くの人が訊ねると聞く。播磨徳久は1面1線の無人駅だが駅舎は地元ふれあいセンターを兼ねた施設として使用されている。列車は播磨徳久を出て右へカーブすると姫新線で最長、1150mの佐用トンネルに入る。長いトンネルを抜け国道179号線としばらく並走して列車は平成6年に開業した智頭急行と合流する作用駅へ11時24分に到着した。

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佐用は昔から出雲街道と因幡街道の宿場町として栄え、現在は播磨と美作を結ぶ姫新線の中核駅として、また智頭急行線の開業で陰陽連絡線の要衝駅として現在に至っている。

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姫新線の起源は昭和4年に作備西線として新見-岩山間の営業開始まで遡る。翌年の昭和5年には津山~新見を結ぶ作備線として開通。そして昭和11年に開通した津山~姫路間の姫津線と統一して現在の姫新線になった。そのため姫新線の特徴は次の3区間で大きく異なる。姫路~佐用の区間は姫路への通勤通学、都市型近郊線の性格が強く、佐用~津山の区間は陰陽連絡の性格を色濃くし、津山~新見の区間は観光山岳鉄道の性格を強く感じるのは私だけだろうか。現在、姫新線には全線直通で走る列車はなく全て佐用駅(一部上月駅)で乗り換える。

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11時43分、津山行きキハ120系ディゼルカーに乗り換え佐用駅を出発。列車はしばらく智頭急行線の高架と並走し、やがて右にカーブし智頭線の高架下を横切って上月駅に向かう。佐用川を渡ると列車は姫新線で兵庫県内の西端の駅、上月に着いた。上月駅舎は無人駅だが、駅には佐用特産物直売所が併設され、待合室ではうどんや山菜蕎麦などが食べられる。姫路からこの駅までは神戸支社姫路鉄道部の管轄。

この区間では「姫新線・新かぐや姫伝説」というキャンペーンが実施されている。これは姫新線の利用促進と地域の活性化を狙ったもので、沿線の古いものを活かしながら新しいものをつくることを念頭に、姫新線との共存共栄の生活を提案している。そんな視野で姫路から上月までの沿線をじっくり訪ねてみるのも面白い。列車は上月を出るとカーブを繰り返しながら兵庫と岡山の県境、万ノ峠トンネルを越えて岡山県側の美作土居駅に到着した。

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ここから津山・新見方面は岡山支社津山鉄道部の管轄。美作土居から津山にかけての区間は昭和初期の建設だけに路盤も低い築堤や切り取りが多く、小さなカーブの繰り返しもあって時代を感じさせるローカル線だ。車窓を見ると通学時間帯の過ぎた長いホームをおしゃべりしながら歩く若い女性の姿が印象的な美作江見駅だった。

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列車はこの駅から7分程で美作江見駅に着いた。2面2線の江見駅では津山からの折り返し運転もある。美作江見から登り勾配を5分程走って棒駅の楢原駅へ。楢原は昭和29年開業の1面1線の無人駅で1日乗降客が26人(平成18年度)と言う超過疎駅。

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列車は盆地に出て梶並川を渡り、美作三湯のひとつ湯郷温泉の玄関口・林野駅に到着した。林野は昭和9年、姫津西線として東津山~美作江見間が開通した際に開業した駅で、現在は1面1線の簡易委託駅。 2011年は女子サッカー「なでしこJAPAN」の活躍で湯郷ベルの本拠地、湯郷・美作は大いに賑わった。その玄関口がこの林野駅だ。

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列車は林野から時速80Km前後のスピードで西へ向って快調に走る。製材所や建築業者の看板が目立つ勝間田駅では学生が多く乗り込んできて車内が込み合ってきた。棒駅の西勝間田、瓦の生産で知られている美作大崎を過ぎて列車は因美線との分岐駅・東津山に12時35分に到着。2面2線の東津山駅では佐用行き上り列車と交換。

ここから列車は吉井川のゆったりした流れの橋梁を渡って12時40分、津山駅2番ホームに到着した。姫路からは2時間32分の乗車だった。津山駅は姫新線の他に因美線・津山線の発着駅でこの駅にはJR岡山支社津山鉄道部があって岡山県北の中枢駅としての機能を果たしている。そして鉄道ファンには見逃せないのが津山駅構内にある旧津山扇形機関車庫と車両転車台、それに鉄道展示室だ。この施設は毎年期間を決めて公開している。津山で下車の折は是非訪ねてみたい鉄道スポットだ。

津山駅点描
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姫新線はこの時間3分の連絡で12時46分発の新見行きの列車があったので飛び乗った。列車は土曜日のせいもあってか車内は帰宅する通学生でほぼ満員の状態で出発。しばらく津山線と並走したキハ120型DCはやがて右に別れ再び吉井川を渡って津山から5分ほどで1面1線の院庄駅に到着。この駅から徒歩15分の所には児島高徳で知られている作楽神社があって今も訪ねる人が多いそうだ。列車は古い木造瓦葺駅舎の美作千代駅を過ぎて、昔の出雲街道宿場町の東にある坪井駅に到着した。坪井宿は徳川幕府が出雲街道整備のために設けた美作七駅のひとつで、今でも町を歩くと往時の雰囲気を留めている。

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そんな現在の坪井駅は列車交換可能な2面2線の無人駅で、姫新線の旅人には途中下車お勧め駅のひとつだ。坪井駅を出ると列車はサミットの美作追分を目指して急勾配の路線を上りつめながら走る。13時09分、列車は1面1線の無人駅・美作追分駅に到着。構内には2面2線だった形跡やホーム跡も残っており、駅舎は立派な福祉の館に変身していた。次の美作落合駅も2005年に駅舎が建て替えられ町の玄関口にふさわしい体裁を整えた。13時16分、列車が到着すると土曜日のせいか大勢の学生が乗り込んで1両編成の車内は満員になって発車した。棒駅の古見を過ぎ旭川の上流に沿って進むと、製材所や木材関係の看板が車窓に見えてくると久世駅だ。久世は木材の町で駅周辺には木材が高く積まれ製材所が立ち並んでいる。13時33分、列車は中国勝山駅の2番ホームに到着した。

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津山方面から列車の半分がこの駅で折り返しとなり、中国勝山から新見方面は1日8往復しか運転されていない。中国勝山駅は大正14年に開業した古い駅で、新見~津山間では1番大きな駅。昭和42年に武家屋敷風の鉄筋コンクリート屋建ての駅舎に建て替えられた。構内には勝山観光協会があり親切に町を案内してくれる。

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嘗ては「急行みまさか」が発着し蒜山高原や湯原温泉への玄関口として多いに観光客で賑わった。現在も駅前から湯原・蒜山への路線バスが運行されているがその本数は極めて少ない。列車は13時33分、30人程の乗客を乗せて中国勝駅の2番ホームを発車、すぐに勝山の町並みが見える旭川橋梁を渡り7分程で月田駅に到着した。

月田駅のすぐ横には貯木場があり、駅舎も地元木材センターを兼ねた立派な建物に林業の町の素顔を見た。月田を過ぎたあたりから勾配もきつく月田川に沿ったS字カーブの連続を列車はあえぎながら走る。隣り合わせたお年寄りが『このあたりは山もちの人が多く山林もよく手入れされ美林の多いところで、列車からの眺めも良かったが近頃は台風による倒木が整理されとらんのが残念やな!』と話す。そういえば倒木で荒れた山肌が車窓から見える。

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峠の谷間にある富原駅では木材を生かしたロッジ風のしゃれた駅舎がひときわ目立つ。この駅では中学生の一団が下車し車内は急に寂しくなった。富原駅は町施設の役目も兼ね地元木材を使用して改築された駅舎でローカル線の駅にしては立派だ。富原を出ると両側の車窓に山肌の斜面を利用した茶畑が広がってきた

そんな中を列車は勾配の厳しいS字カーブの連続する路線を短いトンネルに出入りしながら列車は傍示峠を目指す。傍示トンネルを抜けた地点が標高366mのサミット。列車は緩やかな勾配を下って小さな盆地にある2面2線の交換可能な刑部駅に到着した。この駅は大佐山への登山口でパラグライダーを楽しむ若者でシーズンには賑わうと聞く。この駅ではさらに乗客が降りて車内はすっかり寂しくなった。列車は中国地方山岳地帯の急勾配急曲線をあえぎながらひたすら走る。14時04分、1日の乗降客が20人前後と言われている丹治部駅についた。

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この駅舎も過疎ローカル線にしては立派過ぎる1面1線のモダンな駅で、切符が駅前民家の軒先で委託販売されているのも面白い。

刑部から8分程走って1面1線の岩山駅に着いた。この駅は昭和4年に 作備西線として岩山~新見間の開業に併せて設置された盲腸線の終着駅だったが、翌5年に津山まで開業し現在に至っている。
かつては相対式2面2線の構内だった事を示すホーム跡が今も残っている。

岩山駅には現在1日7往復の列車しか発着しない。今は片側の線路は撤去され、1面1線の棒駅。駅構内に入ると使われなくなったホーム跡や古びた木造の駅舎だけが全盛時の面影を残している。なんだか姫新線の今を象徴しているような寂しい駅だ。

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列車は中国山地をゆっくり走って14時21分、新見駅2番ホームに到着した。津山から1時間38分の山岳列車の旅だった。姫新線は新見駅で米子・松江方面の伯備線に、また三次・広島方面への芸備線に接続している。158.1Kmの姫新線は旅行者にいろんな顔を見せてくれる。ある時は都市通勤列車の厳しい顔を、ある時は陰陽連絡優等列車の片鱗を、そしてある時は中国山地をのんびり走る山岳列車の横顔を。そんな姫新線に魅せられたローカル線の旅だった。

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私の願いは嘗てこの姫新線に「急行みまさか」が走っていたように、姫路-佐用-津山-中国勝山-新見の全線を直通で走る快速列車の実現を望みたい。呉線の観光列車「瀬戸内マリンビュー」や山陰線の快速「みすず号」のように。姫新線関係者には姫新線とその沿線の魅力を発信する余裕と遊び心の持ち合わせて欲しい。そして来春には快速「かぐや姫号」が姫路から新見まで走っていることを願ってやまない。

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